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Research achievements

私は耳鳴りを持っています.2020年に発症(と,ここでは書きます)しました.頭一本で生きている研究者にとって頭から消え去らない雑音の苦痛は凄まじく,「もう研究者としての自身は終わったのだ」と発症後2週間は自殺を考えていました.しかし,その際に,インターネット上にある前向きな体験談を読むことで勇気づけられた経験がありました.例えば,小西博之さんとかですね.だから,耳鳴りを発症してしまった皆さんに今度はこちらから少しでも勇気を与えるために,このウェブサイトに自身がそれをどう乗り越えたのかについて記そうと思います.


ただ,私が発症した(気づいてしまった)耳鳴りは治らないタイプの耳鳴りです.今,耳鳴りを発症したばかりで,悩んでいらっしゃる方はすぐに信頼のおける病院にかかってください.原因があるタイプの耳鳴りは治る可能性があります.


最初に,脳で音が聴こえる原理について説明します.音は空気を伝わって鼓膜に伝わります.鼓膜は音によって振動し,その振動は耳小骨(じしょうこつ)と呼ばれる器官によって増幅され,さらに,蝸牛(かぎゅう)という振動を電気信号に変換する器官にて電気信号へと変換されることで蝸牛神経,聴神経を経て脳に伝達されます.


これらの過程のどこかに異常が生じていれば,耳鳴りとして脳に認識される可能性があります.例えば聴神経腫瘍はひとつの可能性としてあります.しかし,私が感じている耳鳴りは,これらの過程の異常に起因しない,生理的耳鳴(せいりてきじめい)に由来する耳鳴りです.


上で紹介した生体に備わっている電気信号変換器は,常に若干の興奮状態を維持しています.つまり,人の脳は微小ながら常に「鳴って」いるのです.例えば,防音室のような静粛性の高い空間に身を置くと「ピー」のような「シーン」のような音が聴こえませんか.それが生理的耳鳴です.


私はこの生理的耳鳴の存在に気づいてしまいました.2020年のコロナ自粛がはじまったくらいから特に生活のリズムを崩し,朝寝て昼前に起きる生活を続けていました.そんな中,2020年7月1日に隣の家の解体工事が始まりました.そこから騒音にて8時過ぎに起こされる毎日が続き,それを嫌って,2020年7月15日の5時に耳栓をして寝ようとしました.その際に,耳(脳)から音が鳴っていることに気づいたのです.


何らかの原因で(例えば高齢)難聴を発症した人に耳鳴りが伴うことや上の防音室の話と同じです.外界の音を遮断することで内的な音(のようなもの)に気づいてしまったのですね.この音が幼少期からこの大きさであったのかどうかは今となっては判りません.ただ,発症の前の週に耳から電子音のようなものが聴こえることを意識した瞬間がありました(その時は蛍光灯からなる「ジー」という音かと思って気にしませんでした).つまり,その音は平常時でも聞こえる程度に大きな音であった可能性があります.ということは,幼少期にそれに気づかなかったとは考え難く,加齢と共にその音は大きくなっていたものなのかもしれません.


コロナ禍ということもあり,人とおしゃべり等をしてこの現象を脳からすっかり忘れてしまえる環境になかったのも良くなかったのかもしれません.発症後2日目から受け入れようと考えるものの,この音のことばかり考えてどんどん悪化していくのが認識できました.聴こえなくなるのにわざとその音を探してしまう,みたいな.研究職の性かもしれません.これは耳鳴りを悪化させる悪循環の代表例です.


この厄介なタイプの耳鳴りについて多くない数の医師や研究者が色々なことを言っていますが,率直に言って解らないことだらけでしょう.その辺の医師よりよほど考察力に秀で,何かを探求する能力に長けた一流の研究者である私が論文を漁っても答えは出ませんでしたので,今はこう結論づけるしかありません.また,杏林製薬をはじめいくつかの製薬企業が耳鳴り治療薬の開発を行っており心強い限りですが,必ずしも全ての悩める人の福音になるとは考え難いです.


色々調べて既に答えは出ていたのですが,藁をもすがる気持ちで病院にかかりました.河北診療所という病院です.最初,東北大学の耳鼻咽喉科をかつて率いていらした高坂知節先生に診ていただきました.脳腫瘍等の重大な病気であることを願って受診しましたが,いくつかの検査の後,残念ながら健康であると判断されました.聴覚に異常もありませんでした.先生はとてもやさしく,耳鳴りのことも良く理解されている故に,私の耳を診て,「こんな大きな耳垢があったから耳鳴りを感じていたんだよ」と,ありもしない耳垢を除去したように振る舞い,原因を決定付けてくれようとしました.これはおそらく,精神的な治療法ですね.「原因を取り除いたのだからあなたの耳鳴りは治ったんだよ」ってことですよね.ありがたい心遣いでした.しかし,これほどまでの先生が採用された治療手段を鑑みて,やはりこの耳鳴りは不治なのだと再認識しました.


その1週間後に再度,診療を勧めていただいたため,伺いました.今度は入間田美保子先生に診ていただきました.再度検査をしていただき,その後先生といくつかの話をしました.耳鼻科の先生ですので,もちろん脳で鳴り続けるこの音に気づいていらっしゃるのかな,と思い,「この音は人に元来備わっているものですよね?先生の頭でも鳴っているのですか?」と質問しました.そうすると,先生は「あなたの診察をはじめた瞬間から私の耳鳴りもだんだんと大きく聴こえるようになってきているのよ」とおっしゃいました.それに対して「じゃあ,先生はその音が辛いんですか?」と再度質問しました.これに対する先生の答えが「いや,だってそんなもんでしょ?」でした.


この言葉が私にとっての福音でした.耳鳴りの辛さのひとつは,その症状が他の人に認識されないところです.別にこの音が脳で鳴り続けても死ぬなんてことはありません.ただただ音が鳴り続ける,この現象が異常なことなのか正常なことなのか,これを疑い続け,これが治るものなのか治らないものなのか,これを自身に問い続けることが苦痛なのです.特に生理的耳鳴が慢性的な耳鳴りに転じてしまった人にとってこの世界はディストピアそのものです.多くの医師が「生理的耳鳴はすべての人が経験するものであり異常ではない」等という能天気の極みみたいな発言をしていますが,これが患者の精神をえぐるのにとても効果的です.耳鼻科の医師がこの有様です.一方で,入間田先生は脳で鳴るこの音の存在を認め,それを受け入れている態度を,長年耳鼻科の医師として活躍されている信頼のおける立場から明確にされました.


私の脳が鳴り止むことは一瞬たりともありません.しかし,先生方に診察していただいて以降,耳鳴りに関して何の悩みもありません.夜もよく寝れます.例えば,静かな夜にこの音がうざったくても「だってこんなもんだよな」って思うといつだって冷静です.この音が加齢と共に大きくなったものであるなら,その原因を明確にしたいという思いはなくはないですが.


脳でずっと音が鳴り続けていたって,それはあなたの人としての能力に機能形態的にはおそらく何ら負の影響は与えないでしょう.精神を病むと別ですが.ただ鳴っているだけです.実際,私はその後,鳴り続けるこの頭一本で30代の若さにて東北大学の教授になりました.当時の最年少だと思います(史上ではなく当時の).これより困難なことってなかなかないのではないでしょうか?今だって超すごい研究をしようと毎日静かな部屋でずっと考えています.つまり,耳鳴りを持っていたって何だって成せば成ります.


耳鳴りに悩むことはありません.耳鳴りをポジティブに考える必要もネガティブに考える必要もありません.どうしようもない耳鳴りは確実に存在しています.少なくともこの私が認識しています.あなただけの病気ではありません.それが消えてなくなるという観点からの治療の期待は薄いでしょう.その上で,耳鳴りなんて「だってそんなもの」程度の取るに足らない存在なのです.